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小沢恒夫

ハッピーストーリー

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僕は昨年7月〜今年6月末までの1年間、茂原中央ロータリークラブの会長の大役を仰せつかっています。

実は、先日嬉しいことがありました。

ロータリークラブより、9か年精勤の中学生82名の生徒に表彰状を卒業式の時にお渡ししています。その表彰された1人の生徒の親からうちの女房にLINEで「表彰状が送られてきました。」送ってくれました。

  1. 卒業式その表彰状には、「茂原中央ロータリークラブ会長小沢恒夫」と書いてあり、何だか恥ずかしいやらうれしいやらと複雑な気持ちでした。
    また、アスモの理事長室に伺った時に地元中学のPTA連合会会長の感謝状が飾られていました。PTA会長は一般の方ですが、一般の方の名前が入った表彰状が飾られているのを目にし、改めて会長職というのは、本当に名誉なことだと感じました。
  2. 方言
  3. 日本経済新聞にこんな記事がありましたので皆さんと共有したいと思います。作曲家船村徹さんに関した『方言が導いた運命の出会い』という記事です。
    『船村さんと盟友の作詞家、高野公男さんのコンビは、当時定型を基本としていた歌謡曲の世界にとって未知の新人だった。勉強はできるのに素行が悪くて郷里の栃木に居づらくなり、高校を中退して東京の音楽学校に入った船村さん。ぼんやりと作詞家を目指していた高野さん。2人を結びつけたのが「方言」だった。音楽理論の授業で、いいかげんな理屈をしゃべる東京言葉の級友に我慢がならず、栃木弁で「ちくこけ、このー(嘘つけ、おまえ)」と叫んだ船村さんは、クラスの爆笑に傷つき、屋上に駆け上がる。そこに現れたのが、茨城県笠間市出身の高野さんだった。「おれは茨城だっぺよー。栃木のどこなんだっぺやー」こうして地方出身の若い才能が運命的に出会う。昭和24年(1949年)の春だった。戦後復興から高度成長へ。地方から多くの若者が都市を目指した。彼らに共通するのは望郷。ふるさとへの甘酸っぱい思いだった。「おれは茨城弁で詞を書く。おまえは栃木弁で曲を作れ」という高野さんの言葉が、昭和を代表する作曲家、船村徹の背骨になった。』という内容です。ロータリーを通しても、栃木の方と出会うこともありますし、いろんな方と出会うことがあります。方言を大事にするということは地元を大事にすることに繋がります。是非これからも若い人達に地元の方言を恥ずかしがらずに大事に残して欲しいと思います。

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